小林農園
Branding






小林農園
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小林農園は私の実家であり、長野県長野市で江戸時代より栽培されている「綿内蓮根」を継承する農家です 。農法は一般的な水田栽培とは異なり、収穫シーズンとなる寒冷期に粘土質の泥中で一本ずつ手堀り収穫という過酷さと、全国総生産量を占める県外の蓮根の地元スーパーへの進出による価格破壊による衰退から、その継ぎ手は現在わずか2軒しか残っていません 。農園自体は創業から120年を迎え、現在は四代目である父・小林誠が守っています 。私はというと、幼少期より「蓮根農家は苦労するから継がせない」と言われて育ってきました。私自身が「継がなければ」と思い始めたのは、実はここ最近のことです 。 東京でデザインの経験を10年以上積み、故郷に戻って2年とちょっと 。画一化されたものづくりではなく、その土地にしか存在しない文化や営みへの興味が湧き始めた頃、自分のルーツである故郷に目が向くのは自然な流れでした。 東京という距離があったからこそ、「経験を活かしたい」とか「このままでは無くなってしまう綿内蓮根を救えないか」などと、どこか無責任に考えていたのかもしれません。しかし長野に戻り、周囲から「なんで継がないの?」と問われる日々の中で、目の前の現実は避けられないものになりました。その状況が、むしろ自分を追い込むには好都合だったのだと思います。 家業に携わる以前は、口では「蓮根農家の息子」と自己紹介していたものの、実のところ畑にはほとんど入ったことがなく、両親と蓮根の話をしたことも、掘り方すらまともに知りませんでした。どこか他人事で、「自分は凄いデザイナーになるんだ」と息巻いて上京し、デザインで何かできることはないかと格好をつけていた自分の「浅はかさ」を今では痛感しています。 その後、家業に向き合おうと決めてからは苦労の連続でした。まずは畑に行き、父と話そうと試みましたが、継いでほしいと頼まれてるわけでもなかったので、「お前になにがわかる!」となかなか取り合ってもらえず、何度も突き放されました 。はじめは、家業との距離が果てしなく遠く感じました。それから何度も畑に足を運び、両親の話を聞き、自分のやりたいことを伝えては喧嘩を繰り返す、そんな日々を3年ほど積み重ね、徐々に距離を縮めていきました 。 家業に携わるなかで、不慣れなこともたくさんあります。綿内蓮根の魅力を伝えようと、多くの料理人や経営者の方々を招いて畑の見学会を開き、拙い知識ながら蓮根のことを話したり、自ら営業に歩いて販路を開拓したりしました 。そうして農業や「食」に本気で向き合う人たちと出会い、多くのご意見を糧にする中で、気づけば自分自身が「五代目として継いでいく」という覚悟を決めていました 。今では自然と両親と蓮根の話ができるようになり、五代目としてみてもらえているのかは分かりませんが、父も当たり前のように掘り方を教えてくれるようになっています 。 ここまで3年かかりました。ブランディングといっても、デザイン周りの取り組みはまだまだ道半ばではありますが、この期間で両親と私、双方の意識は大きく変化しました 。 「蓮根では食べていけない」「もうダメだ」と嘆いていた父も、口ではそう言いながらも、どこか目の色が変わったように見えます 。 本当に美味しい蓮根をつくっていても、知ってもらわなければ、その価値は届きません。幼い頃から見てきた綿内蓮根の当たり前に美しい畑の景色と最高の味を絶やさないために 。自分のこれまでの経験を活かして、この土地の歴史をつなぐ一員になれるよう、かつて全盛の時代にあった綿内蓮根農家としての誇りを取り戻せるよう、これからも精進していきたいです。なかなか一筋縄にはいきませんが、デザインと並行しながら、生涯をかけて地道に向き合っていきたいです。 - 本プロジェクトは、ここには掲載しきれないほどたくさんの方々に支えていただいています。 まずは3年以上にわたって一番近くでブランドづくりに伴走し、「絶対大丈夫!」と背中を押し続けてくれたアドバイザーの中川将くん。暑い季節も寒い季節も、何度も何度も農園に通ってくれた写真家の西優紀美さん。伝え方のアドバイスから販路や取引先について親身に相談に乗ってくださり、さまざまな関係性をお繋ぎいただいた秋月俊一さん。そして、厳しく美しいロゴを書いてくださった私の書道の師匠、山本静月先生に最大の感謝を。